<第5回>
2005年11月13日(日)和白干潟
集合場所:西鉄宮地嶽線・香椎花園駅

フィールドワーク
「昔の和白はこうじゃった」[和白編]

講師:南里 光威さん(サニー不動産)
   小金丸瑞穂さん(和白公民館主事)



昔の和白干潟の様子を南里さんと小金丸さんに、御島から和白まで歩きながらお話ししていただきました。香椎花園前を出発し、海岸の生き物を見ながら磯浜や牧の鼻付近を歩き、和白干潟に着いてから、アサリの捕り方を教えていただき、その後バードウォッチングを楽しみました。
南里さんには主に和白沖で行っていた漁業や雁ノ巣の地名の由来などを、小金丸さんには、少年時代の干潟の様子や魚とり、潮干狩りの思い出などを熱く語っていただきました。お二人の話を聞いて、昔の和白干潟がいかに自然豊かで素晴らしいところかを知りました。 

◎南里さんのお話

■雁ノ巣という地名の由来
和白干潟一帯に日本古来『天然記念物』の葦原が広がり、そこに渡り鳥の雁が巣を作って子育てをやったことから雁ノ巣と呼ばれるようになった。淡水と海水がミックスした非常に条件のよい沼地であった。  

■名島飛行場
当時アジアの窓口だった飛行場は三つあり、羽田と大阪と名島であった。塩浜と雁ノ巣に滑走路が残っている。開場したときは、滑走路の長さが600mだったが、その後、世界情勢の変化で拡大した。

■博多湾鉄道(軌道後にて)
現在JR香椎線海岸線が海岸線を走っているが、飛行場ができる前まで博多湾鉄道が西戸崎まで直線的に走っていた。志免や宇美で掘り出した石炭を、西戸崎まで和白経由で輸送していた。石炭列車である。博多湾鉄道を海岸線沿いに通すときに大量の松を伐採してしまった。この松林は、1660年に黒田藩が海岸線を守るために植樹したもので、幅は300mもあった。そのおかげでこの海は大変豊饒であった。しかし現在は、宅地の開発や松食い虫によってほとんど当時の松は残っていない。

■昔の漁業
玄界灘に奈多の集落があった。奈多の漁師はアジ、サバ、アサリ貝を捕っていた。外海(奈多)の漁師は八丁艪(はっちょうろ)を5、6艘で内海にのりだし、船が沈みそうになるほど魚を取っていた。その速さはヨット並みで大変かっこ良かった奈多の魚は一級品であり、特にハゼは『博多うろん』のだしに使われていた。全国のうどん屋さんが調査に来るほどの幻のダシである。
内海の漁師は漁業権を持たず、香住ヶ丘や和白一帯には漁村は無かった。海の中道、みとま水道が塞がった後、皆奈多に移住した。内海(和白沖)ではS38年ごろまで海苔の養殖が盛んだった。多々良川の水が流れ込んでいたから、河畔(箱崎の漁場)ではいい海苔が取れていた。  

■昔の風景
かとうさ(現在の香住ヶ丘)は住宅地がほとんど無かった。イモやタマネギなどの畑と松林が広がっていた。松林から砂浜まで緩やかな傾斜でつながっていて、雨が降るとしみこんだ水が海岸線を帯状になって海に注いでいた。この海でハゼやアサリ貝といった魚貝類が豊富だったのは栄養分豊かな水が注いでいたからだろう。しかし、宅地開発が進むに連れて家庭排水等が海に流れ込み、その後、下水道が整備されてくると今度は雨水が入っていかなくなってしまった。微生物も少なくなり、それらをエサとしていた野鳥も数を減らしている。昔は昼過ぎになるとハマチドリがちょろちょろ走り回っていた。また、アマモも和白から牧の鼻まで生えていた。アマモは魚貝類にとって最適の住処であった。今、悪質な業者がアサリをポンプで吸い上げているが、アサリや底生生物だけでなくアマモが根付く環境も壊されている。

◎小金丸さんの話

■和白干潟の今と昔
昭和56年くらいまで海苔がたくさん取れていた。海苔は箱崎の漁業の権利で行っていた。子供の頃貝堀した帰りにノリ網のノリもよく捕って、家に持って帰ると(これは見つかると叱られる)、毎日佃煮が食べられるほどだった。
貝堀に行けば、アサリ貝だけではなく様々な貝を捕ることができた。水かさが浅いところではアサリ貝、白貝、大貝、深いところではマテ貝、赤貝、ハマグリといった貝が取れた。前日に波が荒れると朝早く起きて海に行くのが楽しみだった。砂浜に打ち上げられたエビなどの魚貝類をたくさん捕っていた。エビが高級なものと思えないくらいだった。しかし、宅地開発が進むにつれて水は汚れ、貝があまり取れなくなった。
S40年以降、赤貝がとれなくなり貴重になった。
現在の西鉄宮地岳線から海側に住宅はなかった。貝堀をしに200mの砂浜を横切らないといけなかった。熱くてたまらなかったので草の部分を見つけては我慢して走って行った。
一番好きな風景は、和白干潟から松林の向こうに見える立花山、三日月山の風景だったが、今は松が少なくなり、高いマンション等が建って面影がない。



<感想>
私は今の干潟しか見たことがありませんが、昔のすばらしい環境を取り戻したいと思いました。また、今日聞いた話をいろんな人に教えていき、多くの人、特に、和白に住む人がもっと干潟に関心を持てるようにしたいと思います。