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<第6回>
2005年2月22日(火) 福岡市NPO・ボランティア交流センター
昔の話を聞かせて下さい
「渡り鳥が教えてくれる博多湾と和白干潟」
話題提供:川口繁保さん 小金丸瑞穂さん 安河内卯一さん 今林秀幹さん
和白干潟の未来を考える時、一番参考になるのが「昔の和白」です。昔の和白干潟の話を聞きながら、未来を夢見ませんか。
昔の和白干潟の様子をご存知のみなさんに、お話ししていただきました。
川口さんは福岡市職員の方にご紹介いただき、今林さん安河内さん、小金丸さんは、和白公民館からご推薦いただきました。
川口さんには主にノリ養殖やうなぎ漁など漁業のお話しをしていただき、「魚の宝庫」といわれた博多湾の豊かな姿を思い浮かべることが出来ました。また、小金丸さんには、昭和40年頃の和白の町や子供の頃に遊んだ、海水浴場や干潟の様子をイキイキと語っていただきました。人々の暮らしと干潟がつながっていたのだとあらためて思いました。これからの和白干潟を考えるヒントがたくさんありました。

講義の様子
川口さんのお話
・和白海域で漁をしていた。一番多かったのは天然うなぎ。他はぐち、シャコやカレイなども捕れていた。わたりがにも多かったし、赤貝は博多湾の特産だった。博多湾は「魚の宝庫」だった。
・ ノリ養殖は和白海域のほぼ全面で行われていたが、昭和41、42年にノリの収穫は終わった。
・ アオサの被害は昭和40年代頃から始まっていた。平成7、8年頃、和白干潟にアオサが大量に打ち寄せた。30センチくらいの層になって腐れ出し、住民から苦情。ヘドロ化したためポンプ船で回収。現在、市がアオサ回収を行い、埋立地で処分している(年間約3000トン)。
小金丸さんのお話
・昭和25年頃に香住ヶ丘の開発が始まり、美和台、高見台などが次々開発されていき、まだ下水道整備が行われていなかったため、人口増加と共に和白川、唐原川などが汚染され、海が汚れてしまった。
・ 自宅から200メートルの和白の海水浴場へは、パンツ一枚ではだしで出かけた。飛び込み台が3台ほどあった。遠浅、白砂青松で「和白こども海水浴場」として知られ、大型バスも近くまで入っていた。唐原駅も夏の臨時停車場だった。
・ 今は渡り鳥で和白干潟は有名だが、当時はそんなイメージはなかった。シラサギやカイツブリは記憶にあるが、カモも少しいたという印象しかない。
・ あくまで印象だが、この4〜5年、和白干潟は回復傾向にあるのではないか。
今林さんのお話
・一番好きな風景は、奈多から立花山を見ると、3つの山が並んで見える場所があった。不思議な風景だった。
安河内さんのお話
・一番好きな風景は、好きな景色は、砂浜からの風景。前は、白い砂と美しい海。後ろを振り返れば、立花山がきれいに見えた。
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